三浦春馬の死!ショックから抜け出せない!悲しい辛い毎日をどう回復する?

三浦春馬

2020年7月18日 日本の宝であり名優の三浦春馬さんが亡くなった。

「三浦春馬 自殺」とセンセーショナルに報道されたそのニュースは、各テレビ局やマスコミがこぞって大々的に取り上げた。

しかし、それらの報道はたった数日で、スーッとフェードアウトしていった。

その原因は、

「遺書があった」
「家族と間に問題を抱えていた」
「過密スケジュールによる過労」
「まじめでストイックだった」
「ネットで誹謗中傷を受けていた」
「最近は悩んでいるようだった」
「ドラマや舞台の現場で嫌がらせやいじめがあったらしい」

などのそれらしい理由を列挙し「当日の彼に本当は何があったのか?」を明かすことはなかった。

どの報道機関も足並みをそろえて、「死因は疑いようもなく自殺!」として一斉に片づけたからだ。

そして何かを隠すかのように、死後2日という異常なまでに早いスピードで密葬されたと報道され、その後はまるで何事もなかったかのように「三浦春馬に関する真実の情報」は切り捨てられた。

有名人が自殺をすると、後追い自殺者が増える可能性が高まるという懸念があるため、ある意味、WHO(世界保健機関)が定めた自殺報道の仕方に関するガイドラインに従った結果だと言えるでしょう。

しかし、しかしです!

何かが引っかかるんです!

それも、すごい違和感で!

三浦春馬さんの死因報道への違和感がスゴイ!

「三浦春馬さんの死」に直面するまでの私は、三浦春馬さんの出演する作品はいくつか観ていて、「結構好きな俳優さん」だとは思っていました。

彼が出演した作品は毎回、彼の演じた役が作品のイメージとピッタリであるだけでなく、彼からどことなく感じる切なさや儚さが相乗効果となって自然と涙があふれてくる。

三浦春馬さんは、若い俳優さんにありがちな「ただのイケメン」ではなく、間違いなく彼にしか出せない独特のオーラがある。

爽やかで知的で品の良さがあふれる超イケメンでありながらも、どこか儚げで憂いが見え隠れするから、毎回ドキドキさせてくれる魅力的な俳優さんだな!と。

とはいえ、正直、特別に熱狂的なファンだったわけではありませんでした。

なのに、何なんだろう?この胸のざわざわは?

確かに、三浦春馬さんの死因について、それらしい理由は列挙されている。

だけど、やっぱり・・・

「どうして自殺した??」

という違和感が、どうしても、どうしても、私の中でぬぐえない。

「昔は活躍してたけど今は・・・」みたいな人ならまだしも、三浦春馬さんは、子役でデビューして以来ずっと第一線でバリバリ活躍し、舞台・映画・ドラマはもちろん、自身がメインMCとなる番組も持っているほどの超売れっ子人気俳優。

死亡報道以前のスケジュールもいっぱい、亡くなった前日にも、当日にも撮影中のドラマ収録があった。

他にも、近日出演予定、放送予定の番組、更にその先の先には舞台の予定など、彼のスケジュールは息つく暇もないほど目白押しで詰まっている。

また、自身が4年の歳月を費やして取材した「日本製」という本の出版や新曲発売の予定もある。

自殺の理由の1つに「過密スケジュール」による過労、精神的疲労、ウツなどが上がっていることには納得せざるをえない。

が、今回の件に関しては、自分でもなぜだかわからないけど、どうもしっくりこない。何かその結末が腑に落ちず、不思議と日に日にモヤモヤが募っていくばかり。

今まで幾度となく「芸能人の死」についてのショッキングな報道を目にしてきたし、その度に胸が苦しくなることは変わらない。

しかし、今回の件は、今までとは全く違った感覚があり、日にち薬では全然癒せないし、癒せないどころか、モヤモヤと悲しみ、喪失感が日に日に大きく膨らんでいくのはなぜか?

だから、気のすむまで調べてみようと思い、手に入るありとあらゆる情報をむさぼった。

そしたら・・・

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亡くなってから三浦春馬の魅力に取りつかれる!

今までは、結構好きだけど、かといってそこまで注目してはいなかった三浦春馬さんだった。

しかし、今回のことをきっかけに、三浦春馬という人間を調べれば調べるほど、演技力や表現力、身体能力、歌唱力のみならず、素の部分の人柄の良さ、信念の強さ、頭の良さ、所作や言葉の美しさなど全てにおいて素晴らしいと気づかされた。

若いころからの一貫した凛とした生き方、人間力の高さにどんどん引き込まれ、遅ればせながら、大ファンになっていた。

ネットでも、「三浦春馬さんが亡くなってからファンになった人」が急増していると見た。実際に自分もその一人なのでその現象についての理解はたやすい。

三浦春馬さんの死因は絶対に自殺ではない?

三浦春馬さんの情報を日々調べる中で、もう一つ、重大なことに気づいた。

それは自殺報道を聞いた時の違和感への答えだ。

ここ約2か月の間、気づけば毎日毎日何時間も「三浦春馬さんの死の真相」に近づくための情報集め、過去の出演作品や動画を観ては涙する日々を続けた。

そんな中で、情報を探せば探すほどに確信に変わってきたことがあった。

それは、

「三浦春馬さんの死は絶対に自殺ではない!」

ということだった。

そう感じた初めのきっかけは…下記のような違和感を感じたこと。

誰もが羨む容姿を持ち、積み上げてきた経験や実績に伴う名声があり、現在も、そして今後の仕事も順調で軌道に乗り地位もある。

いわゆる「成功者」だった彼が、たった30歳という若さで、そこに至るまでに積み重ねてきた血のにじむような努力や費やしてきた時間、犠牲にしてきたもの、キャリアアップのためのさまざまな経験や体験…

それらをすべて途中で投げ出し捨て去ってしまうだけの動機と、自殺の原因として列挙されている理由とのつじつまがどうしても合わない。

今、現在見えている「三浦春馬の成功者像」は、「もっと良くしていくために」「次の準備のために」と常に未来を見据えた行動を取ってきた春馬さんの積み重ねた血のにじむような努力の足あと。

一切の努力を惜しまず妥協を許さずストイックに、人生をかけて臨んだ俳優の、そして、素の「三浦春馬」としての一貫した生き様でしょう。

非常に強いメンタルを持ち、しかし、穏やかで、どんな時でも丁寧で、礼儀正しく紳士的。人には、優しく、親切で、明るいムードメーカーでありながら、自分自身には超ストイックで、まじめで、まっすぐで、全てにおいて一生懸命で、1つ1つの仕事に全身全霊をささげて丁寧に丁寧に取り組む姿勢。

曲がったことが嫌いでまっすぐな人格者は、日本の国力を上げるため、困っている人を助けるため、よりよい未来を後輩たちに残すため、信念を曲げず、闇にも屈せずその生涯をかけて明るい未来に向けての行動を貫いた。

「経年美化を楽しむ」と美しいことばを残し、これからが本当に本当に楽しみだった国宝級の俳優、それが三浦春馬さんだった。

春馬さんの死が「自殺」でなく「他〇」だとの見解は一部では出ているが、多くの場合、表に出ないように、大衆に知られないように、情報が拡散しないようにと、何者かによって抹消工作がすごい勢いで施されている。

こうしている今もあちこちで。

このような情報は強い強い闇の抑制の力が働いているからほぼ表には出てこない。

それでも・・・

春馬さんに関心を持っている人は気づいている。

「おかしい!」ということに。

人一倍まじめで責任感が強く、常に他人を思いやることに重きを置いてきた人間が、誰にも何の挨拶もせず、何の後始末もせず、たくさんの人に多大な迷惑をかけるような状態でこんなにも唐突に死ぬようなことをするだろうか。

それに、生前、一番いやなことは?とのインタビューに対し、「他satuなのに自殺だとされること」だと語っていたとの証言が多数上がっている。

命の大切さを理解し、未来を担う子供たちや後輩たちのよりよい未来に向けて積極的に活動を行っていた。

などなど、あげれば枚挙にいとまがない。

三浦春馬さんの死の本当の真相をつかもうと情報を集めれば集めるほど強く思う!

春馬さんの生き様そのものが、彼からのダイイングメッセージ!
「ぼくは絶対自殺なんかしない!」と。

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「未来に向かって努力することの意味」ってなに?

三浦春馬さんを一言でいうと?という問いに「Mr.パーフェクト」だと答えていた俳優仲間がいたほど、三浦春馬さんは人として尊敬すべき人格者である上に、群を抜いた努力家であったことは周知の事実だった。

だから、

もしも、もしも、万が一でも、

三浦春馬さんの「自殺報道」が本当だとするならば…

私自身、「未来に向かって努力する意味」が見つからなくなってしまうんです。

こんな未来に希望を持てないで、大した努力もできないクズのような自分がこうして生きているのに、どうして、未来を見据え、努力に努力を積み重ね、多くの人に愛や勇気、希望や感動を与えられる崇高な人が、これからという年齢で命を落とすのか?と。

三浦春馬さんの死と向き合って以来、この壁にぶち当たってしまった。

もしも、春馬さんの死が自殺なら、

血のにじむような努力を積み重ね、健康に気を使い、色々なことを我慢して、犠牲にして、ストイックに自分を律し未来のために努力してきたものっていったい何だったの?って。

そのことを考えると、なんだか全てが空虚にしか感じられず、「未来に向かって努力する意味ってなんなんだろう?とますます生きる力が沸き上がってこなくなるのです。

自分のふがいなさを、三浦春馬さんの死に無理やりかこつけて、自分の努力不足の言い訳を「人のせいにしているだけ」であることは否めない。

それでもこの違和感はなに?と引っかかる自分の心のモヤモヤを見逃すことはできない!

今までは、非常に近視眼的に自分の苦しさにばかり焦点をあて、世の中に対して「どうせ…」とあきらめ、真実を見ることをせず、無関心を決め込んでいた。

が、しかし、この一件をきっかけにして、

生きるとはなんぞや、幸せとはなんぞや、それぞれが抱える闇との対峙について…
一生かかっても解けないナゾナゾを与えられたように感じている。

今回起こった春馬さんの悲しい死を通すことで、くしくも、今自分たちの置かれている世界で大変なことが起ころうとしているということに気づかせれた。

それは、おそらく、事務所や部分的な組織の陰謀を飛び越して、日本レベルの、もっと言えば世界レベルが抱える闇の話にまで広がってしまうほどの。

いろいろと端折りますが、春馬さんの死の真相を追求していくうちに、個人的な結論としては、実は、最終的には、非常に恐ろしい可能性に辿りついてしまった経緯があります。

ただこれは非常に個人的な見解であり、確実なエビデンスも立証できないし、世間では面白おかしく取り扱われている、いわゆる「ただの都市伝説」や「陰謀論」として、片付けられてしまうたぐいの見解。

だから口にすれば間違いなく「デマを信じる情弱」「頭のおかしな統失」だとされ、まともに相手にしてもらえない類の見解であり、語ったところで消されれしまうでしょうからここでは詳しい見解を述べることは控えます。

しかし、自分が導き出した着地点を簡単に言うと、始まりは、いちタレントの死の真相を暴き無念を晴らす!だったが、その奥をのぞくと、そこには想像もできないほど真っ黒い大きなブラックホールが存在していたということ。

そして「強大な闇の力が強すぎてどうにもならない」それどころか、このままでは日本が、(そして世界が)ヤバイということ。

ここでまた、「絶望的な未来に向けて努力をすることの虚しさ」と、「そうは言ってもいまこの世を生きている以上は努力しなくては…」という思考の板挟みに直面することになった。

およそこの2か月間、毎日毎日真相追及に没頭してきたが、ここにきてもまだ、未来のために努力する意味って何なんだろう?と悶々とすることから逃れられないのか?!

突き詰めても突き詰めても、

「努力して生きる意味」ってなんなんだろう?

という問いの答えを見つけられないでいる。

三浦春馬の生き様を予言?映画ネガティブハッピーチェーンソーエッジ

そこで、ちょっと視点を変えて!

三浦春馬さんの過去に出演した「NEGATIVE HAPPY CHAINSAW EDGE」(ネガティブハッピーチェーンソーエッジ)という映画に注目してみる。

すると、2008年公開された映画「NEGATIVE HAPPY CHAINSAW EDGE」(ネガティブハッピーチェーンソーエッジ)が「春馬さんの人生を予言していたかのような役どころ」だったことにビックリさせられた。

そして、この映画の内容が、今の自分の葛藤「努力して生きる意味」ってなんなんだろう?の答えを探すうえで、ドンピシャの内容になっていたことに…。

「NEGATIVE HAPPY CHAINSAW EDGE」(ネガティブハッピーチェーンソーエッジ)を簡単に紹介すると、滝本竜彦の小説が原作になっていて、2008年に映画化された作品。

主演はルーキーズでおなじみの「市原隼人さん」、相手役に「関めぐみさん」、そして、親友役としてコールドブルーなど数々の作品に出演されている「浅利陽介さん」と「三浦春馬さん」がメインで出演しています。

映画の大部分は、主人公の美少女「えりちゃん」が自分の前に夜な夜な現れるチェーンソーを振り回す男と戦い、市原隼人演じる「陽介」がそのサポートをするという内容。

「一見、B級」と言われがちです。

しかし、実は、それぞれが「越えられない何か」と戦っていく中で、幸せとはなにか?悪とはなにか?どのように生きるのかなどを若者目線から考える作品になっています。

この映画で春馬さんはメインではないけれど、ストーリーのとても重要な役を演じています。

そして、三浦春馬さんが演じた「能登のと弘一」という役どころが、現実の三浦春馬さんと重なって見える部分があり、とても切なくなります。

死ぬ前の春馬さんは、能登(のと)であり、また、毎晩チェーンソーを持って訪れる「闇」と戦う主人公の「えりちゃん」でもあったように思えてならない。

ネガティブハッピーチェーンソーエッジ俺さまーずの「根性なし」が刺さる!

また、劇中で登場する3人が「俺さまーず」という名のバンドを組み歌っている「根性なし」という曲が、まるで近年の春馬さんの状況を歌っているかのようで心に刺さります。

三浦春馬さん演じる能登が劇中で歌った「根性なし」
春馬くんバージョン↓

「根性なし」メイキング↓

ネガチェンは、今の自分にはまるドンピシャの内容で、刺さりまくりの映画でした。

ひと昔前の自分なら絶対に観なかっただろうし、観ても刺さらなかったと思います。

しかし、このタイミングでこの作品を見つけ、鑑賞したことには大きな意味がありました。ネガチェンは観てすごくよかったです。

それに、劇中で流れるGREEEENのBE FREEは個人的にはキセキよりも好きです。

GREEEENの「BE FREE」↓

なにより、劇中、当時18歳ぐらいの春馬さんが歌う「根性なし」は自分への応援ソングとなりそうです。(浅利さんのフルバージョンもいいです)

浅利陽介さんが歌う「根性なし」フルバージョン↓

ということで、ネガティブハッピーチェーンソーエッジは、非常におすすめの映画です。

(注意:春馬さんの役が少し悲しい役なので、辛くなりそうな人はもう少し時間を空けてからみるとよいかと思います。)

この映画の中で、探している答えが、バッチリと見つかったわけではないけれど、このように悩んでいることはおかしなことではない!と分かっただけでも個人的には収穫があったことは間違いない。

まとめ

春馬さんが亡くなってもうすぐ2か月になろうとしている今日も私は相変わらず春馬ショックから抜けられないでいる。

これは、底なし沼か?アリジゴクか?と得体のしれない、何かにどっぷりはまり込んでいる。

でもこのような思いで苦しんでいるのはきっと私だけではないはず!

おそらくこの瞬間にも、私と同じように、三浦春馬さんの無念を晴らせずモヤモヤし、毎日ループループしながら苦しんでいる方がいることでしょう。

回復するには?なんて書きましたが、正直、答えはまだ見つかっていません。

7月18日、あの日以来、私の時間は止まっている。

なんとか抜け出さなければ。

三浦春馬さんが望んでいたであろう景色がみられるように、
意思を絶やさないように継承していかなければいけない…

春馬さんの無念が晴れるとき。
そんな日は来るのだろうか??????

どこまでいくんだろうと、なすすべもなく、今日もまた、悶々ともがいている。

だけど、三浦春馬さんが一生をかけて貫いた、「しなやか」だが、「まっすぐ」に力強く美しく生きたその生き方を一人一人がお手本としていくことはできる。

春馬さんが生前、国民一人一人が思いやりを紡いで国力を高めようと訴えていたように、一人一人が人にやさしく、思いやりをもって丁寧に接しようと努めることなら自分にもできる。

自分ができる身の回りの小さいことなら、今この瞬間から、春馬さんの遺志をつないでいくことはできる。

一人一人の心にいつも小さな春馬を!
を合言葉に・・・

ネガティブハッピーチェーンソーエッジで俺さまーずが歌う「根性なし」の歌詞をひとりひとりの心に刻もう!

そしたら、三浦春馬さんが自分の命を懸けて、闇に屈することなくまっすぐに守ろうとしていたものを、一人一人の力は微力でも「三浦春馬の志」のたすきを絶やすことなく未来につないでいけるかもしれないと信じて。

俺さまーず「根性なし」歌詞

映画:ネガティブハッピーチェーンソーエッジより
「根性なし」 歌:俺さまーず

けりをつけろ!
けりをつけろ!

それでいいのか?
それでいいのか?

諦めちまったのか
そんな自分が嫌じぇねーのか

ヤツが来る!
ヤツが来る!

本当は怖いんだ
それでも逃げなかったぜ
真正面から行けよ
まだ方法はあるはず

どこまで行けるんだろうって
この体が知りたくて
はるか遠くまだ見えない明日に向かって

失うこと恐れたら
大事なもの守れない
たとえ独り世界中を敵にしたって

何が真実かを知りたかった
いつも独り闇と戦ってた

前を見ろ!
前を見ろ!

振り返るな!
振り返るな!

一度逃げちまったら一生同じままだぜ!

ヤツが来る
ほら、ヤツが来る

俺だって怖いんだ
それでも逃げなかったぜ
もう覚悟を決めろよ
そしたら何かがみえるさ

俺たちは今走り出す
まだ夜明けまでは遠くて
吐き出すこの白い息を空に向かって

やりたいことやり切らなきゃ
正しいこと守れない
そっと見上げたあの星は
月を蹴って

ずっと胸の中で叫んでいた
いつか君にも打ち明けたかった

どこまでいけるんだろうって
この体が知りたくて
はるか遠くまだ見えない明日に向かって

失うこと恐れたら大事なもの守れない!
たとえ独り世界中を敵にしたって

何が真実かを知りたかった
いつも独り闇と戦ってた

三浦春馬さんは、たった独りで長い間、闇と戦ってきたが敗れた!
しかし、この死を無駄死になんてしてはいけない!
自分にはいったい何ができるのだろう?

 

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